若い世代にも注目されはじめた穴場のまち「巣鴨」

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「巣鴨」といえば、おじいちゃんおばあちゃんが多いまちというイメージが強いのではないでしょうか。
しかし山手線の駅でありながら他の駅より比較的価格相場が控えめという点が注目されて、若い世代にも人気が高まっています。

《歴史》

■昔の巣鴨

この地にあった大池に鴨が群れて多くの巣があったことから巣鴨になったという説や、洲に向き合った場所という意味に由来している説など、地名にまつわる話はいくつか存在していますが、江戸時代にあたる1745(延享2)年にはすでに「巣鴨町」が成立しています。
宿場町ではなかったため宿泊施設はありませんでしたが、食事処や茶屋が建ち並んだ中山道の休憩所として当時から多くの人が集まっていました。

■今の巣鴨

それまで商業のまちとして発展してきましたが、とげぬき地蔵尊の通称で有名な高岩寺が1891(明治24年)が巣鴨へ移ってきたことにより信仰のまちとしての側面も誕生。お参りに訪れる人でさらに賑やかさを増すことになります。
そして1903(明治36)年に、中山道と豊島線(現・山手線)が交差する現在の位置に巣鴨駅がついに誕生したのです。
1945(昭和20)年の東京大空襲で高岩寺の建物が全焼するといったことはありましたが、戦後も大々的な再開発が入ることもなく、その懐かしい街並みは今でも住民たちの手によって大切に守られています。

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《地理》

巣鴨駅は、JR山手線を円にした時のほぼ中央真上に存在しています。山手線内回りを利用すれば池袋まで約5分、新宿へも約15分。外回りを利用すれば上野へ約15分、東京へは約20分と、山手線の北側に存在している巨大ターミナル駅へも乗り換えなし20分圏内で行くことができます。
駅には都営地下鉄三田線も乗り入れており、水道橋や神保町、大手町といった都心部へも1本で向かうこと可能。
さらには都内唯一のチンチン電車である都営荒川線の庚申塚駅も徒歩圏内と、アクセス環境の良さが際立っています。

それでいて、比較的物件・家賃相場がリーズナブルなのが特徴です。
山手線沿線ですからもちろんそれ相応ではあるものの、人気の高い恵比寿や目白などと比べれば差がわかるでしょう。
豊島区の中でも2番目に賑やかですが治安も比較的良いため、山手線の穴場のエリアとして注目されています。

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《買い物環境》

「おばあちゃんの原宿」とも呼ばれる人気観光地でもありますから、商店街には和菓子屋や甘味処、喫茶店や洋品店などが目立ちます。しかしそのような参拝者・観光客を対象にしたお店に紛れて、八百屋や魚屋、日用雑貨店からスーパーまでも多く点在。観光地としてだけではなく、住民の買い物スポットとしてもしっかりと機能していますので、生活に不便さを感じることはあまりありません。
商店街だけでなく駅中にはアトレヴィ巣鴨も。ベーカリーやカフェ、レストラン、美容室やネイルサロンが入っており、こちらは若い世帯の利用客が中心。駅直結ですし成城石井もあるため仕事帰りなどにこちらを利用して帰る方も多いようです。

それ以外にもスーパーはSEIYU、サミットストア、まいばすけっとなどがありますし、低価格でボリュームが魅力の飲食店、小さな子供連れでも安心なファミレスも多いので、自炊派や外食派も安心。
ただ、若い世代向けの雑貨屋や衣類店は少なめな上、家電量販店などもありませんので、その場合は池袋方面へ向かうことになるでしょう。

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《施設》

地蔵通り商店街は、巣鴨に訪れたことはなくても誰でもTVなどで一度は目にしているのではないでしょうか。
お年寄りのまちとして印象付けたこの商店街は1日平均1~2万人が、4の付く日ごとに開催されている縁日の日には6万人もの観光客・参拝者で溢れかえる一大観光スポットです。他のまちでは廃れているか、もしくはすでに見ることが出来なくなってしまったような洋品店や純喫茶、和菓子屋や金物店などが賑わい、お年寄りの目には懐かしく、若い方の目には目新しく映るではないでしょうか。

とげぬき地蔵尊(高岩寺)はその地蔵通り商店街のほぼ中央あたりに存在しています。
こちらのご本尊は秘仏ですので拝見することはできないのですが、お姿をもとに書かれた御影(おみかげ)に祈願してもご利益があるといわれています。また、洗い観音も有名で、病気の場所に水をかけてからタオルで拭くと治るとされているため、休日はもちろん平日も長い行列が出来ていることも珍しくないようです。

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都心でありながら、ゆったりと懐かしい時間が流れている「巣鴨」。
確かにお年寄りは多いものの、近年では若い人たちにも人気の観光スポットとなっているだけでなく、実は利便性が高く住みやすい穴場エリアなのです。

商業施設が集まった巨大ターミナル「池袋」

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生活必需品から趣味のものまですべてが揃う、東京3大繁華街としても有名な「池袋」。
商業・娯楽施設が多いため住む場所としてのイメージはあまりないかもしれませんが、少し離れれば静かな住宅街が広がる穴場のエリアです。

《歴史》

■昔の池袋

地名の由来はいくつかの説がありますが、池袋の池という字が示す通り水に関係しているようです。
今の華やかな池袋からは想像できませんが、明治初期までは沼や池があちこちに点在した人の少ないただの街道筋の村のうちのひとつでした。

その後、鉄道が敷かれるようになり上野や東京方面の開発が進んでも、一向に池袋方面は手が入らずただ信号所がある程度で、ようやく駅が誕生したのは1903(明治36)年のこと。
田端への分岐点として池袋駅が開設されたのですが、本来は先に作られていた目白駅にその役割を持たせる予定でした。しかし目白住民の強い反対と、地形の問題によって変更されたのです。
しかし開業はしたものの、その後もしばらくは利用客は1日にわずか数人程度。大正時代には東上鉄道(現・東武東上線)と武蔵野鉄道(現・西武池袋線)が開通しましたが、一向に駅周辺の街並みが変わることはありませんでした。

■今の池袋

現在の華やかな池袋を形成し始めたのは、1935(昭和10)年に菊谷デパート(現・ 西武池袋本店 )がオープンしたことがきっかけになっています。
買い物客で駅周辺が賑わうようになればなるほど、それに比例するように三越、東京丸物(現・パルコ)、東武百貨店と商業施設も次々と増加。大繁華街へと成長を遂げたのです。
今では誰もが知る巨大ターミナルの池袋ですが、商業エリアとしての歴史としてはだいぶ浅い街なのです。

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《地理》

新宿・渋谷と並ぶ山の手3大副都心のひとつである池袋は、乗り入れている路線の多さと利用客数でも有名です。
JRは山手線をはじめ、埼京線、湘南新宿ライン、西武鉄道の東上本線、西武鉄道の池袋線、東京メトロの丸ノ内線、有楽町線、副都心線の8路線の利用が可能。
山手線沿線はもちろん、埼玉や神奈川、千葉方面へも簡単にいくことが可能と、これ以上ない交通利便性の高さとなっています。

ネットでも口コミでも、池袋の治安に不安を感じる方は多いです。実際に暴走事故などでニュースになることもありました。
しかし実際には利用人口数が多いせいで犯罪数が増えているだけで、突出して犯罪発生率が高いわけではありません。
もちろん西口から北方面にかけての歓楽街など注意したほうが良いエリアはありますが、警察や住民たちの努力によって治安改善への前進がみられると言っても良いでしょう。

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《買い物》

まずこのエリアで買い物に不自由することはありません。
東武百貨店、西武池袋本店などの巨大デパートだけでなく、パルコやマルイ、ルミネなどのファッションビル、ビックカメラやヤマダ電機などの大型家電量販店、ドン・キホーテなどのディスカウントストアまでが揃い、買えないものはないと言ってもいいほどです。

スーパーも成城石井、ザ・ガーデン自由が丘などの高級志向のお店から、肉のハナマサなど激安スーパーまで充実。
外食しようと思っても、大型チェーン店から小さい個人経営のお店までが所狭しと並んでいますのでどこにしようか悩んでしまうかもしれません。
東武百貨店と西武池袋本店はデパ地下ブームの先駆けともいわれており、中でも西武池袋本店は全国百貨店売上ランキングでも上位で、デパ地下の規模は日本屈指の広さとなっています。
とにかく「買い物が大好きで毎日楽しみたい!」という方にはうってつけのエリアです。

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《施設》

多くの商業施設でにぎわう池袋ですが、中でも代表的なのが“サンシャインシティ”。
池袋のランドマークとしても有名で、水族館、展望台、プラネタリウムなどのアミューズメント施設と、ホテル、オフィス、商業施設までが揃った複合商業施設です。
1978年にオープンして以降多くの人々に愛され続け、池袋と言えばここを思い出す方も多いシンボル的存在となっております。

池袋の魅力はそれだけではありません。どちらかというと緑が少ない印象を持たれていそうですが、そんな街の雰囲気を一新しようと行政が公園改革を実行。
しばらく閉鎖していた南池袋公園を、一面に広がる芝生広場とウッドデッキ、オープンスタイルのカフェレストランを併設させた憩いの場へとリニューアルオープンしました。
どちらかといえば大人のまちとして知られていた池袋が、子供も安心して走り回れるまちへと変化し続けているのです。

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かつては東京都で唯一消滅可能性年のリスト入りしてしまった池袋ですが、自治体がしっかりと対策が取った結果、住みたいまちランキング1位を獲得するほど評価が一気に上昇。
これからさらに人気が高まる可能性が高く、池袋は住む町としての選択肢から外せないかもしれません。

長い歴史と豊かな緑のまち「雑司ヶ谷」

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山手線の内側に存在しているものの、長い間交通が不便な場所としてみられてきた「雑司ヶ谷」。
しかし東京メトロ副都心が開通したことにより、利便性が上昇し同時に人々の注目も集めるようになりました。

《歴史》

■昔の雑司ヶ谷

地名の「雑司」の由来は現在も明らかになっていませんが、東京都豊島区と文京区との間をかつて流れていた弦巻川がこの周辺に谷間を形成していたため、地名に谷がつけらたとされています。
そして江戸時代、徳川八代将軍吉宗が訪れた際に「雑司ヶ谷村」と記すよう命じられて以降、正式な地名として定められました。
豊島区最古の建造物“鬼子母神堂”を中心に、人気観光地として多くの料理茶屋を抱えた場所だったようです。

明治時代に入り鉄道が発達すると、豊島区全体の人口は急激に増加。しかし「雑司ヶ谷」が山手線からやや奥まった場所にあるせいか、その後は目立った発展は見られなかったのです。

■今の雑司ヶ谷

戦火は免れたものの、被害が少なかったため逆に再開発もほとんど入ることはなく、長い間寂れたままでした。
ようやく日の目を見たのは、なんと2008(平成20)年になってから。東京メトロ副都心線「雑司ヶ谷駅」が開業されたことにより、アクセス環境が一気に向上したのです。
華やかな雰囲気はありませんが、昔のままの静かな街並みを残しつつ交通の利便性の高さが共存したエリアとして、これからさらに人気が高まる可能性があると見ても良いでしょう。

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《地理》

都電荒川線(東京さくらトラム)と、東京メトロ副都心線の2路線が利用可能となっています。以前は荒川線しかなかったため、JR山手線の池袋駅や目白駅まで徒歩やバスなどで向かう必要がありましたが、現在では副都心線で池袋へわずか3分、新宿方面へも8分、渋谷へも13分と、直接向かうことが可能になりました。

また、豊島区という事で気になるのは治安ではないでしょうか。
確かに池袋のすぐ隣ではあるのですが、このエリア自体に繁華街そのものが存在しておらず、ほとんどが住宅街と学校、寺院や神社などなため、和やかな雰囲気が漂っています。
深夜営業のお店も少ないため夜道はやや暗めですが、重大な犯罪発生率はほぼ皆無ですので、女性はもちろん小さな子供を連れたファミリー世帯も安心して暮らすことが可能です。

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《買い物》

都電荒川線は小規模な駅ですし、東京メトロ副都心線は地下鉄のため、駅周辺に商業エリアは存在していません。
目白通り沿いまで出れば“miniピアゴ”や“マルエチプチ”などの小規模スーパーがありますので、日々の生活に必要な生鮮食品の買い出しはできそうです。が、それ以外は個人経営の小さな商店が並んだ商店街がある程度で、買い物に便利とは少し言いづらいかもしれません。

しかしお隣の池袋まで出てしまえば、食事から日用品、家電、雑貨、趣味のものまでほとんど購入が可能なため、そちらで済ませてくる方がほとんどのようです。副都心線でひと駅、徒歩圏内で歩いて向かうことも可能ですから、そこまで不便さを感じることはないでしょう。

《施設》

このエリアの有名スポットと言えば安産・子育の神様として名高い鬼子母神(威光山法明寺)に違いありません。1561(永禄4)年に文京区目白台あたりから出土した鬼子母神像が祀られており、鬼という字がその名についているものの実際の像にツノは存在していません。
境内には子授けイチョウ、子育てイチョウとして親しまれている樹齢600年にもなる大イチョウが、参道には樹齢400年を超えるケヤキ並木があり、秋には美しく染まった紅葉をみることが可能です。

寺院や神社が集まっているためどうしても地味な印象が強いのですが、もちろん今はそれだけではありません。
雰囲気を壊すことのないよう、昭和初期の建物をリノベーションしたレトロモダンなカフェや古書店、民家風の定食屋などが並び、若い世代でも街歩きや散策が楽しめるようになりました。
隠れ家的なお店も多いですし、四季折々のイベントも毎年開催されているため、ファミリーで訪れる人も増えているようです。

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けして華やかとは言えないまちですが、長い間開発が入らなかったからこそ残った懐かしい雰囲気と、都心近くにありながらも静かな住環境が守られた、イチオシの穴場エリアなのです。

住民たちの手に守られた高級感漂う街「目白」

利用者の多いJR山手線の駅でありながら、落ち着いた雰囲気が漂う「目白」。皇族の方々も通う学習院をはじめとした多くの教育機関が集まった学生のまちであり、緑が多く静かな都内でも人気の高級住宅街でもあります。

《歴史》

昔の目白

地名の由来は、江戸を守護と天下泰平を願って各地に置かれた五行思想のひとつ、“目白不動尊”にちなんでいると言われています。実際の目白不動尊は昭和20年に焼失してしまいましたが、そのまま地名として「目白」が残りました。
そのように江戸時代から“目白台”と呼ばれ親しまれていたこの地は、江戸城からさほど離れていないこともあって、大名や旗本らが住まうお屋敷街としても有名でした。明治時代に入ると、引き払われた多くのお屋敷に近代日本の貴族階級である“華族”が住むようになります。「目白」はすでにこの辺りから高級住宅街として名を馳せるようになっていたのです。

今の目白

落ち着いた街並みの「目白」ですが、実はこの辺りを開発するという話は何度も持ち上がっていました。豊島線(現:JR山手線の一部)の分岐点として選ばれた際は、多くの地元住民たちによる反対運動が起こっています。彼らは賑やかに発展していくことより、そのままの住環境のままでいることを望んだのです。
それ以降も何度も再開発の話が出ましたが、その都度反対運動により開発は中止。今でも、上品で静かな街並みを愛する住民たちによって守られています。

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《地理》

東京都豊島区の南端にある“目白駅”は、JR山手線の北西部にあります。山手線内でも数少ない他の路線の乗り入れがない駅のため、利用者数はそれほど多くはないものの、運行本数がとにかく多いため移動手段に困ることはないでしょう。池袋駅・高田馬場駅までそれぞれ1駅でわずか約2分、新宿駅へも乗り換えなしでアクセス可能です。

目白駅の規模も比較的小さく、目立った商店街はほとんどありません。駅前にはメイン通りとなる目白通りがありますが、道幅がかなり広めにとられているため圧迫感を感じることもないでしょう。駅を出て西側の通り沿いには飲食店などの商業施設も並びますが、騒々しさを感じずどちらかというと落ち着いた雰囲気。東側は学習院大学のキャンパスが広がっており、緑も多いせいか都心部とは思えない閑静な街並みとなっております。

教育機関が多い文教地区でもありますが、学生のまちらしいといえるお店はカフェや古書店くらいでしょうか。ですが、パチンコ店などをはじめとした周囲に悪影響を与えるような場所も一切ないため、治安は非常に良好。防犯の目もしっかりと行き届いた、子供や女性に優しい地域なのです。

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《買い物環境》

駅ビルが存在しない“目白駅”の周辺で買い物しようとするなら、駅前の目白通りを渡ったところにある“TRAD目白”でしょう。規模はやや小さめで派手さや華やかさはありませんが、落ち着いた「目白」らしい上品な外観が魅力の商業施設です。イタリアンレストランや中華料理店などから、コーヒー専門店やベーカリー、有名ショコラティエのパティスリーなども入っており、買い物や食事などを楽しむことが出来ます。ここの地下には高級志向スーパーの“クイーンズ伊勢丹”もありますので、帰り際に生鮮食品を購入して帰るという事も可能です。

スーパーはこの“クイーンズ伊勢丹”の他にも、“ピーコックストア”があり、どちらも深夜近くまで営業しているので帰りが遅くなった際も安心。また、池袋までわずか1駅、歩いても約10分ほどですから、そちらまで買い物に向かう方も多いようです。

《施設》

「目白」がある豊島区は23区の中でも緑が少ないと言われていますが、駅からおよそ5分程度のところの“豊島区立目白庭園”はそんなイメージも吹っ飛んでしまうほどの緑であふれています。池の周囲に園路が敷かれた池泉回遊式の庭園で、池の周囲に配植された四季折々の木々を眺めながらぐるっと散歩することが可能です。
池の南側の石垣の上には、文芸雑誌“赤い鳥”にちなんで建てられた木造瓦葺きの平屋“赤鳥庵”が、それを眺められるように水際には小休憩場の“六角浮き見堂”、野外で茶会を楽しむ野点を催す場所としても利用できる“滝見台”などがあり、日本ならではの美しい庭園となっております。

春にはカルガモの親子が、秋には見事な紅葉がそれぞれ見られ、都心にいることを忘れてしまいそうなほど。入園も無料ですから散歩コースとして訪れる住民の方も多く、ぜひ近場まで訪れたら立ち寄りたいスポットです。

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交通の便や買い物などはお隣の池袋や高田馬場にかないませんが、静かさと治安の良さで選ぶなら「目白」でしょう。落ち着いた環境で安心した子育てをしたい、また、のんびりと老後を過ごしたいのであれば、ぜひお勧めしたいエリアです。