巨大ターミナル駅への出やすさと静かさが両立した「千早」

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メインとなる駅がエリア内に存在しないため、豊島区の中でも特に知名度が低めの「千早」。
しかし2路線に挟まれているので複数の駅が利用しやすい上、大通り以外は閑静な住宅街が広がっています。



《歴史》

■昔の千早

千川(千川上水)の速い流れから“千速”と呼ばれた後に転じて「千早」となった説、長崎神社などをはじめとする神事に因んで“神”に通じる「千早」とした説、さらには鎌倉時代にこの地を領地としていた長崎氏が戦いを挑んだ大阪府“千早城”に因んだという説と、地名の由良はいくつか存在しています。


ですが長い間一帯は長崎村と呼ばれており、明治時代に入るまで東京の中心部へ作った穀物や作物を持ち込むための田畑が広がる農村地帯でした。

■今の千早

1923(大正12)年に発生した関東大震災を気に、新たな居住地を求めて都心部から多くの人々が流入。宅地整理が一気に進み、昭和に入る頃には農村から急激に住宅地へを変貌をみせました。この際に作られた格子状の道路は、今でもエリア内のところどころに形を残し、今でも見ること可能です。
ようやく「千早」という地名が使用されるようになったのは、1989(平成元)年。実はかなり最近のことなのです。

《地理》

「千早」エリアは、東京メトロ有楽町線・副都心線と西武池袋線に挟まれるような位置に存在しています。
どちらの線路にも面しておらず、主要となるべき駅は存在していないものの、有楽町線・副都心線の“千川駅”と“要町”、西武池袋線の“東長崎駅”と“椎名町駅”の4駅がすぐ近くにあるため、移動に不便さを感じることはありません。

基本的に住宅街と教育施設がほとんどで、飲食店などはかなり控えめ。その分1日を通して静かで、夜も酔客に合うことはほぼなく治安もとても良好です。
道路はやや狭めですが、坂が少ないエリアですので自転車があると移動の幅がさらに広がるでしょう。

《買い物》

小規模なスーパーやコンビニはありますが、商業施設は見当たりません。
地蔵堂商興会などの商店街は存在しており、今もレトロな風景を楽しむことが出来ますが、実際には小さな個人経営のお店がいくつか点在しているだけで買い物に便利な場所と言うのは少し難しいかもしれません。

要町や千川駅などが近いため、日々の買い物はそれぞれ最寄りの駅周辺で済ませるのも良いでしょう。
また、豊島区最大の駅である池袋にかなり近い場所ですので、そちらまで向かう人も多いです。
池袋駅まで1駅、もしくは2駅ですし、徒歩でもわずか15~20分ほど。
「ショッピングは大好きだけど、家の周囲は絶対静かな場所!」と言う方にはおすすめかもしれません。

《施設》

住宅街を除くと、“学校法人城西学園”をはじめとした中学校や小学校などの教育施設が特に多い地域です。
保育施設もあちこちに存在しており、小さな子供がいる家族も安心。豊島区全体で見ても待機児童数はゼロですので、子育て中の世帯はもちろん、これから子供を考えている夫婦に特に注目を集めているエリアです。

緑が多い公園が多いのも嬉しいポイント。小さめのものがほとんどですが、中でも都営地下鉄12号線(現大江戸線)用の試作車として製造された車両が設置されている“千早フラワー公園”は周囲の住民たちの癒しスポットとなっています。
その名の通り手入れの行き届いた花壇もあり、訪れた際には四季折々の花々を楽しむこともできるでしょう。

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巨大ターミナル駅である池袋からわずかの場所にありながら、静かな住宅街がひろがる「千早」。
知名度はほぼないに等しいかもしれませんが、その分豊島区内でも穴場の狙い目エリアかもしれません。

昔ながらの懐かしい空気が漂う「長崎」

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豊島区最西端にある「長崎」は、都心部に近いと思えないほど落ち着いた雰囲気が漂っています。
池袋に出やすいという利便性の高さと、静かな住環境がこのエリアの魅力です。

《歴史》

■昔の長崎

鎌倉時代末期、この辺りが長崎氏の領地であったことから「長崎」と名付けられたと伝わっていますが、確証となる文書は存在していないようです。
室町自体にはすでに“長崎村”とは呼ばれていたものの、明治時代あたりまでは長閑な農村であり、あとは雑木林が広がる場所でした。

■今の長崎

住宅地として注目されるようになったきっかけは、1923(大正4)年に発生した関東大震災です。
震災の被害がさほどなかったこと、その数年前に現在の西武池袋線にあたる武蔵野鉄道が開通しており都心部方面へ出やすかったことから、多くの人が新たな家を構える場所として長崎を選択。住宅街を中心として開発されていったのです。

《地理》

長崎からは西武池袋線の東長崎駅の利用ができ、池袋まで2駅という利便性の高さが魅力。各駅停車しか止まらないという欠点はあるものの、乗車時間はわずか2駅5分程度ですし、急行や快速などと比べて混みにくいため逆に利点と言えるかもしれません。
また、都営大江戸線の落合南長崎駅や、東京メトロ有楽町線及び副都心線の千川駅もエリア内にあるため、目的地によって路線を使い分けることが可能です。

早いうちから住宅街として発展したこの長崎は1区画が狭めで、一戸建てやアパート、3~4階程の低層マンションが中心です。大規模マンションがない分日当たりが良い物件も多く、東京に住みながら空を広く感じることが出来るのは大きな魅力でしょう。道路も同じような理由でやや狭いため、自動車よりも自転車での移動が便利でおススメです。

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《買い物》

東長崎駅周辺には大小合わせて6つの商店街が集まっています。昔懐かしい鮮魚店や精肉店、お茶屋や青果店、花屋などが建ち並び、食料品を含む生活必需品はすべてこちらで揃えることが出来るでしょう。こういった商店街は閉店する時間が早いため、仕事で帰宅が遅くなりがちな方には少し利用しにくいものですが、23時まで営業している西友や東急ストアといったスーパーも複数ありますので安心してください。

マクドナルドや松屋などの大型飲食チェーン店から、個人経営のラーメン屋や蕎麦屋、洋食屋、居酒屋など食事をする場所も充実しており、外食派の方も安心。
池袋からの距離もあまりないため、そちらを利用する方も多いようです。

《施設》

最初から“住む”場所として開発され続けてきた長崎は、ほとんどが閑静な住宅街で大型の施設などは存在していませんでした。
それまでは「遊ぶのなら池袋へ」というのがほとんどでしたが、落合南長崎の駅近くに2012年に5階建ての複合型ショッピングセンター“アイテラス落合南長崎”が、2013年にその向かいに“豊島区立南長崎スポーツセンター”がそれぞれ建てられてから、多くの住民が集まるスポットとなっています。

スポーツセンターで温水プールやトレーニングジム、多目的広場や芝生広場などで遊んでから、正面のショッピングセンターでカフェを楽しんだり買い物を済ませて帰る、という方も多いようです。
このアイテラス落合南長崎は、駅直結といった点も嬉しいところ。四季折々のイベントも定期的に開催されていますので、大人だけでなく子供も楽しめるスポットとなっているようです。

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東京のベッドタウンとして成長してきた「長崎」。
知名度的にはさほど高くはありませんが、東京で日当たりの良いゆったりとした住宅街に住みたいのであればピッタリなエリアなのではないでしょうか。

池袋が徒歩圏内の静かな住宅街「要町」

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池袋の近くに住みたいけれど、賑やかすぎない静かなところがいいという方におすすめなのがこの要町。
電車でわずか1駅3分、池袋駅まで徒歩圏内でありながら、閑静な住宅街が広がるエリアです。

《歴史》

■昔の要町

明治時代に入るまでは集落がいくつか点在していた程度で、あとは農地が広がるだけの地域でした。
その頃は長崎村と呼ばれており、浦和県(現埼玉県)に属していたものの、1871(明治4)年に東京府へ編入。1926年に町制し東京府北豊島郡長崎町へとなった後、長崎町を含む4つの町が合併し豊島区を発布。この際、旧長崎町が扇の“要”のような位置に存在していたことから、「要町」と呼ばれるようになりました。

■今の要町

東京都心部へ持ち込む米や野菜などを栽培していた都市近郊型の農村だったこの辺りは、関東大震災の被害がほとんどなかったため、そのあたりから人口が急激に増加しました。
太平洋戦争では豊島区も被害を受けたものの、要町周囲は比較的軽度だったせいもあり、多くの人々が移り住むようになります。1955(昭和30)年にはすでに現在の市街地がほぼ完成し、豊島区内の静かな住宅街が誕生したのです。

《地理》

豊島区の中心地域である池袋駅からわずか1駅の場所にある要町は、東京メトロ有楽町線と副都心線の利用が可能です。
駅自体はコンパクトですが、有楽町線は永田町や有楽町、新木場などの千葉方面へ、副都心線は渋谷や横浜方面へ向かうことが出来るため、アクセス環境の良さがメリットに挙げられます。
ラッシュ時の乗車率は高いものの、本数もかなり多いためそこまでの苦労は感じにくいです。

何より要町最大のポイントは、池袋へ徒歩圏内であること。要町駅までであれば池袋駅から歩いても15~20分程度ですので、終電を逃した場合でも安心できます。
バス路線も豊富ですが、東京でも坂の少ないエリアのため自転車があると移動範囲がさらに広がるでしょう。

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《買い物》

要町駅は地下鉄駅であるため駅ビルなどはなく、駅周辺も商業施設は見当たりません。が、コンビニやスーパーなどが点在しているので、毎日の生活必需品などの購入場所には困りません。
立教大学キャンパスが近くにあるため、安くてボリュームのある飲食店やお弁当屋、オシャレなカフェなど学生向けのお店が多めになっています。

それ以外の買い物をするのであれば、やはりお隣の池袋まで向かったほうが良いでしょう。
西武池袋本店や東武百貨店などのデパートをはじめ、パルコやマルイといったファッションビル、大型家電量販店やディスカウントストアなど多くのお店が揃っており、池袋で購入できないものはほぼないと言ってもいいほどです。
遅くまで開いているお店も多いので、仕事終わりに池袋で買い物を済ませてから帰るという事も可能な距離なのです。

《施設》

住宅地として発展してきたエリアですので、商業施設や大規模緑地などは周囲に見当たりません。
要町からやや離れてしまうものの、池袋寄りの場所にある立教大学がキャンパスを一般公開しており、住民たちの憩いの場となっています。
大学であり観光スポットではないのですが、歴史的建造物がとても多いため天気のいい日などは散歩をする方も多め。クリスマスシーズンにはキャンパス内にあるヒマラヤスギがイルミネーションで彩られるということで、たくさんの見学客でにぎわうようです。

また、赤レンガ造りの第一食堂は一般客も利用可能なのがうれしいところ。
“学食ランキング”でも上位に入るほどのおいしさを誇りながら、ワンコインで食べられるお得なメニューも多めです。
カフェもありますので、散歩の休憩場所として利用するのも良いかもしれません。

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池袋までひと駅の上、有楽町線と副都心線が利用可能という交通利便性の高さが魅力の要町。
住宅街で繁華街がなく雰囲気が落ち着いているため、女性のひとり暮らしや子育て中のファミリーにおすすめです。

今も昔も落ち着いた雰囲気の「駒込」

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やや知名度が低いのは否定できませんが、住みやすいエリアとして知られている「駒込」。
交通利便性が非常に高い山手線内に住みたいけれど豊かな自然にも触れたい、という方にはまさにぴったりな場所です。

《歴史》

■昔の駒込

古代日本の皇族“日本武尊(ヤマトタケルノミコト)”が東征の途中に訪れた際、味方の軍勢を見て「駒込みたり」といったところから駒込となった、などと言う説もありますが、詳しいことは今もわかっていません。が、戦国時代にはすでに駒込(こまごめ、またはこまごみ)と呼ばれていました。
江戸時代には光御成街道(現・本郷通り)が開かれたことによって一気に賑わいを見せるようになり、周囲には多くの武家屋敷が建てられ始めます。今も駒込駅の南方面にある大名庭園“六義園”も、この時代に造営されたものです。

■今の駒込

時代が明治に移り、多くの武家・大名屋敷が払い下げられるとともに街は一気に近代化が進みます。1903(明治36)年に現在の山手線である豊島線が開通。池袋駅や巣鴨駅などと比べるとやや遅れたものの、1910(明治43)年にはようやく駒込駅が誕生したのです。
なお、駒込駅の発車メロディが「さくらさくら」なのは、駒込駅西側に存在した染井村がソメイヨシノの発祥の地という事から選ばれました。

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《地理》

同じ豊島区の池袋などと比べると駒込駅の規模はかなり小さく、さほど知名度も高くはありません。住みたいまちランキングに入ったりすることもありませんが、やはりJR山手線の駅であるという事は大きなポイントです。池袋をはじめ、新宿、上野、東京などの巨大ターミナル駅まで乗り換えなし1本で行くことが可能であるのに、他の山手線のエリアと比べてやや物件の相場が控えめであるという点も大きなメリットでしょう。
東京メトロ南北線も走っているため、こちらを利用すれば後楽園や永田町、六本木など山手線の内側へ行くことも可能です。

駅周辺の大きな特徴として、豊島区、北区、文京区の三区が入り組んでいることが挙げられるでしょう。駅自体は豊島区に属していますが、ホームの一部は北区に含まれていますし、駅から南西方面へ進むとすぐが文京区になっています。1つの駅周辺にこれほど行政地区が入り組んでいることは非常にめずらしいことなのですが、最寄り駅が“駒込駅”と言ってもエリアによって自治体が違う可能性も高いので、住む際には十分注意しましょう。

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《買い物》

巨大商業施設は見当たりませんが、駒込駅近辺に大小いくつもの商店街が存在しています。霜降銀座商店街、染井銀座商店街、駒込さつき商店街(駒込銀座)、アザレア通り、田端銀座商店街と、その充実ぶりは類を見ないほど。他の地域では衰退を見せている事が多い商店街もここでは今も現役で、活気にあふれています。
昔ながらの鮮魚店や精肉店、豆腐屋はもちろんのこと、美味しいケーキが味わえるカフェや、季節のフルーツを利用したかき氷を扱うお店など若い方をターゲットにした飲食店も多く、散策スポットとしても人気が高いようです。

商店街だけでなくスーパーの数も種類も豊富で、深夜1時までのところから24時間営業の店舗もあるため、残業などで帰りが終電になっても買い物場所に困ることはありません。飲食チェーン店から弁当屋、総菜屋などもあちこちに点在しているため、どのような生活スタイルの方でもバリエーション豊かな食生活を送ることが可能です。

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《施設》

江戸期を代表する大名庭園である“六義園”は駒込で有名なスポットです。地理の項でも説明しましたが駅周辺には行政地区が入り組んでおり、駒込駅南西方面に存在する六義園は豊島区ではなく、文京区本駒込6丁目に位置しています。
六義園は徳川5代将軍・徳川綱吉の側用人であった柳沢吉保の下屋敷跡で、柳沢本人が設計し“六義園(むくさのその)”と名付けました。明治の初年度には三菱財閥の創業者の岩崎弥太郎が購入しているものの、1938(昭和13)年に東京市に寄贈されたことにより現在では都立公園になっています。
特にツツジの花が有名で、駒込自体が「ツツジの咲く街」と呼ばれるほど象徴的なものとなっていますが、他にも枝垂桜や紅葉、定例の行き届いた芝生など一年を通して見所があるため、日本だけでなく海外からの観光客も多い日本庭園となっております。

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都内に住むなら多少の喧騒は仕方ないと多くの人は考えてしまいそうですが、都心の利便性と自然の豊かさを上手く両立させた駒込は、どちらもあきらめきれないという方にぜひ住んでいただきたいまちなのです。

若い世代にも注目されはじめた穴場のまち「巣鴨」

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「巣鴨」といえば、おじいちゃんおばあちゃんが多いまちというイメージが強いのではないでしょうか。
しかし山手線の駅でありながら他の駅より比較的価格相場が控えめという点が注目されて、若い世代にも人気が高まっています。

《歴史》

■昔の巣鴨

この地にあった大池に鴨が群れて多くの巣があったことから巣鴨になったという説や、洲に向き合った場所という意味に由来している説など、地名にまつわる話はいくつか存在していますが、江戸時代にあたる1745(延享2)年にはすでに「巣鴨町」が成立しています。
宿場町ではなかったため宿泊施設はありませんでしたが、食事処や茶屋が建ち並んだ中山道の休憩所として当時から多くの人が集まっていました。

■今の巣鴨

それまで商業のまちとして発展してきましたが、とげぬき地蔵尊の通称で有名な高岩寺が1891(明治24年)が巣鴨へ移ってきたことにより信仰のまちとしての側面も誕生。お参りに訪れる人でさらに賑やかさを増すことになります。
そして1903(明治36)年に、中山道と豊島線(現・山手線)が交差する現在の位置に巣鴨駅がついに誕生したのです。
1945(昭和20)年の東京大空襲で高岩寺の建物が全焼するといったことはありましたが、戦後も大々的な再開発が入ることもなく、その懐かしい街並みは今でも住民たちの手によって大切に守られています。

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《地理》

巣鴨駅は、JR山手線を円にした時のほぼ中央真上に存在しています。山手線内回りを利用すれば池袋まで約5分、新宿へも約15分。外回りを利用すれば上野へ約15分、東京へは約20分と、山手線の北側に存在している巨大ターミナル駅へも乗り換えなし20分圏内で行くことができます。
駅には都営地下鉄三田線も乗り入れており、水道橋や神保町、大手町といった都心部へも1本で向かうこと可能。
さらには都内唯一のチンチン電車である都営荒川線の庚申塚駅も徒歩圏内と、アクセス環境の良さが際立っています。

それでいて、比較的物件・家賃相場がリーズナブルなのが特徴です。
山手線沿線ですからもちろんそれ相応ではあるものの、人気の高い恵比寿や目白などと比べれば差がわかるでしょう。
豊島区の中でも2番目に賑やかですが治安も比較的良いため、山手線の穴場のエリアとして注目されています。

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《買い物環境》

「おばあちゃんの原宿」とも呼ばれる人気観光地でもありますから、商店街には和菓子屋や甘味処、喫茶店や洋品店などが目立ちます。しかしそのような参拝者・観光客を対象にしたお店に紛れて、八百屋や魚屋、日用雑貨店からスーパーまでも多く点在。観光地としてだけではなく、住民の買い物スポットとしてもしっかりと機能していますので、生活に不便さを感じることはあまりありません。
商店街だけでなく駅中にはアトレヴィ巣鴨も。ベーカリーやカフェ、レストラン、美容室やネイルサロンが入っており、こちらは若い世帯の利用客が中心。駅直結ですし成城石井もあるため仕事帰りなどにこちらを利用して帰る方も多いようです。

それ以外にもスーパーはSEIYU、サミットストア、まいばすけっとなどがありますし、低価格でボリュームが魅力の飲食店、小さな子供連れでも安心なファミレスも多いので、自炊派や外食派も安心。
ただ、若い世代向けの雑貨屋や衣類店は少なめな上、家電量販店などもありませんので、その場合は池袋方面へ向かうことになるでしょう。

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《施設》

地蔵通り商店街は、巣鴨に訪れたことはなくても誰でもTVなどで一度は目にしているのではないでしょうか。
お年寄りのまちとして印象付けたこの商店街は1日平均1~2万人が、4の付く日ごとに開催されている縁日の日には6万人もの観光客・参拝者で溢れかえる一大観光スポットです。他のまちでは廃れているか、もしくはすでに見ることが出来なくなってしまったような洋品店や純喫茶、和菓子屋や金物店などが賑わい、お年寄りの目には懐かしく、若い方の目には目新しく映るではないでしょうか。

とげぬき地蔵尊(高岩寺)はその地蔵通り商店街のほぼ中央あたりに存在しています。
こちらのご本尊は秘仏ですので拝見することはできないのですが、お姿をもとに書かれた御影(おみかげ)に祈願してもご利益があるといわれています。また、洗い観音も有名で、病気の場所に水をかけてからタオルで拭くと治るとされているため、休日はもちろん平日も長い行列が出来ていることも珍しくないようです。

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都心でありながら、ゆったりと懐かしい時間が流れている「巣鴨」。
確かにお年寄りは多いものの、近年では若い人たちにも人気の観光スポットとなっているだけでなく、実は利便性が高く住みやすい穴場エリアなのです。

商業施設が集まった巨大ターミナル「池袋」

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生活必需品から趣味のものまですべてが揃う、東京3大繁華街としても有名な「池袋」。
商業・娯楽施設が多いため住む場所としてのイメージはあまりないかもしれませんが、少し離れれば静かな住宅街が広がる穴場のエリアです。

《歴史》

■昔の池袋

地名の由来はいくつかの説がありますが、池袋の池という字が示す通り水に関係しているようです。
今の華やかな池袋からは想像できませんが、明治初期までは沼や池があちこちに点在した人の少ないただの街道筋の村のうちのひとつでした。

その後、鉄道が敷かれるようになり上野や東京方面の開発が進んでも、一向に池袋方面は手が入らずただ信号所がある程度で、ようやく駅が誕生したのは1903(明治36)年のこと。
田端への分岐点として池袋駅が開設されたのですが、本来は先に作られていた目白駅にその役割を持たせる予定でした。しかし目白住民の強い反対と、地形の問題によって変更されたのです。
しかし開業はしたものの、その後もしばらくは利用客は1日にわずか数人程度。大正時代には東上鉄道(現・東武東上線)と武蔵野鉄道(現・西武池袋線)が開通しましたが、一向に駅周辺の街並みが変わることはありませんでした。

■今の池袋

現在の華やかな池袋を形成し始めたのは、1935(昭和10)年に菊谷デパート(現・ 西武池袋本店 )がオープンしたことがきっかけになっています。
買い物客で駅周辺が賑わうようになればなるほど、それに比例するように三越、東京丸物(現・パルコ)、東武百貨店と商業施設も次々と増加。大繁華街へと成長を遂げたのです。
今では誰もが知る巨大ターミナルの池袋ですが、商業エリアとしての歴史としてはだいぶ浅い街なのです。

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《地理》

新宿・渋谷と並ぶ山の手3大副都心のひとつである池袋は、乗り入れている路線の多さと利用客数でも有名です。
JRは山手線をはじめ、埼京線、湘南新宿ライン、西武鉄道の東上本線、西武鉄道の池袋線、東京メトロの丸ノ内線、有楽町線、副都心線の8路線の利用が可能。
山手線沿線はもちろん、埼玉や神奈川、千葉方面へも簡単にいくことが可能と、これ以上ない交通利便性の高さとなっています。

ネットでも口コミでも、池袋の治安に不安を感じる方は多いです。実際に暴走事故などでニュースになることもありました。
しかし実際には利用人口数が多いせいで犯罪数が増えているだけで、突出して犯罪発生率が高いわけではありません。
もちろん西口から北方面にかけての歓楽街など注意したほうが良いエリアはありますが、警察や住民たちの努力によって治安改善への前進がみられると言っても良いでしょう。

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《買い物》

まずこのエリアで買い物に不自由することはありません。
東武百貨店、西武池袋本店などの巨大デパートだけでなく、パルコやマルイ、ルミネなどのファッションビル、ビックカメラやヤマダ電機などの大型家電量販店、ドン・キホーテなどのディスカウントストアまでが揃い、買えないものはないと言ってもいいほどです。

スーパーも成城石井、ザ・ガーデン自由が丘などの高級志向のお店から、肉のハナマサなど激安スーパーまで充実。
外食しようと思っても、大型チェーン店から小さい個人経営のお店までが所狭しと並んでいますのでどこにしようか悩んでしまうかもしれません。
東武百貨店と西武池袋本店はデパ地下ブームの先駆けともいわれており、中でも西武池袋本店は全国百貨店売上ランキングでも上位で、デパ地下の規模は日本屈指の広さとなっています。
とにかく「買い物が大好きで毎日楽しみたい!」という方にはうってつけのエリアです。

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《施設》

多くの商業施設でにぎわう池袋ですが、中でも代表的なのが“サンシャインシティ”。
池袋のランドマークとしても有名で、水族館、展望台、プラネタリウムなどのアミューズメント施設と、ホテル、オフィス、商業施設までが揃った複合商業施設です。
1978年にオープンして以降多くの人々に愛され続け、池袋と言えばここを思い出す方も多いシンボル的存在となっております。

池袋の魅力はそれだけではありません。どちらかというと緑が少ない印象を持たれていそうですが、そんな街の雰囲気を一新しようと行政が公園改革を実行。
しばらく閉鎖していた南池袋公園を、一面に広がる芝生広場とウッドデッキ、オープンスタイルのカフェレストランを併設させた憩いの場へとリニューアルオープンしました。
どちらかといえば大人のまちとして知られていた池袋が、子供も安心して走り回れるまちへと変化し続けているのです。

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かつては東京都で唯一消滅可能性年のリスト入りしてしまった池袋ですが、自治体がしっかりと対策が取った結果、住みたいまちランキング1位を獲得するほど評価が一気に上昇。
これからさらに人気が高まる可能性が高く、池袋は住む町としての選択肢から外せないかもしれません。

長い歴史と豊かな緑のまち「雑司ヶ谷」

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山手線の内側に存在しているものの、長い間交通が不便な場所としてみられてきた「雑司ヶ谷」。
しかし東京メトロ副都心が開通したことにより、利便性が上昇し同時に人々の注目も集めるようになりました。

《歴史》

■昔の雑司ヶ谷

地名の「雑司」の由来は現在も明らかになっていませんが、東京都豊島区と文京区との間をかつて流れていた弦巻川がこの周辺に谷間を形成していたため、地名に谷がつけらたとされています。
そして江戸時代、徳川八代将軍吉宗が訪れた際に「雑司ヶ谷村」と記すよう命じられて以降、正式な地名として定められました。
豊島区最古の建造物“鬼子母神堂”を中心に、人気観光地として多くの料理茶屋を抱えた場所だったようです。

明治時代に入り鉄道が発達すると、豊島区全体の人口は急激に増加。しかし「雑司ヶ谷」が山手線からやや奥まった場所にあるせいか、その後は目立った発展は見られなかったのです。

■今の雑司ヶ谷

戦火は免れたものの、被害が少なかったため逆に再開発もほとんど入ることはなく、長い間寂れたままでした。
ようやく日の目を見たのは、なんと2008(平成20)年になってから。東京メトロ副都心線「雑司ヶ谷駅」が開業されたことにより、アクセス環境が一気に向上したのです。
華やかな雰囲気はありませんが、昔のままの静かな街並みを残しつつ交通の利便性の高さが共存したエリアとして、これからさらに人気が高まる可能性があると見ても良いでしょう。

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《地理》

都電荒川線(東京さくらトラム)と、東京メトロ副都心線の2路線が利用可能となっています。以前は荒川線しかなかったため、JR山手線の池袋駅や目白駅まで徒歩やバスなどで向かう必要がありましたが、現在では副都心線で池袋へわずか3分、新宿方面へも8分、渋谷へも13分と、直接向かうことが可能になりました。

また、豊島区という事で気になるのは治安ではないでしょうか。
確かに池袋のすぐ隣ではあるのですが、このエリア自体に繁華街そのものが存在しておらず、ほとんどが住宅街と学校、寺院や神社などなため、和やかな雰囲気が漂っています。
深夜営業のお店も少ないため夜道はやや暗めですが、重大な犯罪発生率はほぼ皆無ですので、女性はもちろん小さな子供を連れたファミリー世帯も安心して暮らすことが可能です。

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《買い物》

都電荒川線は小規模な駅ですし、東京メトロ副都心線は地下鉄のため、駅周辺に商業エリアは存在していません。
目白通り沿いまで出れば“miniピアゴ”や“マルエチプチ”などの小規模スーパーがありますので、日々の生活に必要な生鮮食品の買い出しはできそうです。が、それ以外は個人経営の小さな商店が並んだ商店街がある程度で、買い物に便利とは少し言いづらいかもしれません。

しかしお隣の池袋まで出てしまえば、食事から日用品、家電、雑貨、趣味のものまでほとんど購入が可能なため、そちらで済ませてくる方がほとんどのようです。副都心線でひと駅、徒歩圏内で歩いて向かうことも可能ですから、そこまで不便さを感じることはないでしょう。

《施設》

このエリアの有名スポットと言えば安産・子育の神様として名高い鬼子母神(威光山法明寺)に違いありません。1561(永禄4)年に文京区目白台あたりから出土した鬼子母神像が祀られており、鬼という字がその名についているものの実際の像にツノは存在していません。
境内には子授けイチョウ、子育てイチョウとして親しまれている樹齢600年にもなる大イチョウが、参道には樹齢400年を超えるケヤキ並木があり、秋には美しく染まった紅葉をみることが可能です。

寺院や神社が集まっているためどうしても地味な印象が強いのですが、もちろん今はそれだけではありません。
雰囲気を壊すことのないよう、昭和初期の建物をリノベーションしたレトロモダンなカフェや古書店、民家風の定食屋などが並び、若い世代でも街歩きや散策が楽しめるようになりました。
隠れ家的なお店も多いですし、四季折々のイベントも毎年開催されているため、ファミリーで訪れる人も増えているようです。

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けして華やかとは言えないまちですが、長い間開発が入らなかったからこそ残った懐かしい雰囲気と、都心近くにありながらも静かな住環境が守られた、イチオシの穴場エリアなのです。

住民たちの手に守られた高級感漂う街「目白」

利用者の多いJR山手線の駅でありながら、落ち着いた雰囲気が漂う「目白」。皇族の方々も通う学習院をはじめとした多くの教育機関が集まった学生のまちであり、緑が多く静かな都内でも人気の高級住宅街でもあります。

《歴史》

昔の目白

地名の由来は、江戸を守護と天下泰平を願って各地に置かれた五行思想のひとつ、“目白不動尊”にちなんでいると言われています。実際の目白不動尊は昭和20年に焼失してしまいましたが、そのまま地名として「目白」が残りました。
そのように江戸時代から“目白台”と呼ばれ親しまれていたこの地は、江戸城からさほど離れていないこともあって、大名や旗本らが住まうお屋敷街としても有名でした。明治時代に入ると、引き払われた多くのお屋敷に近代日本の貴族階級である“華族”が住むようになります。「目白」はすでにこの辺りから高級住宅街として名を馳せるようになっていたのです。

今の目白

落ち着いた街並みの「目白」ですが、実はこの辺りを開発するという話は何度も持ち上がっていました。豊島線(現:JR山手線の一部)の分岐点として選ばれた際は、多くの地元住民たちによる反対運動が起こっています。彼らは賑やかに発展していくことより、そのままの住環境のままでいることを望んだのです。
それ以降も何度も再開発の話が出ましたが、その都度反対運動により開発は中止。今でも、上品で静かな街並みを愛する住民たちによって守られています。

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《地理》

東京都豊島区の南端にある“目白駅”は、JR山手線の北西部にあります。山手線内でも数少ない他の路線の乗り入れがない駅のため、利用者数はそれほど多くはないものの、運行本数がとにかく多いため移動手段に困ることはないでしょう。池袋駅・高田馬場駅までそれぞれ1駅でわずか約2分、新宿駅へも乗り換えなしでアクセス可能です。

目白駅の規模も比較的小さく、目立った商店街はほとんどありません。駅前にはメイン通りとなる目白通りがありますが、道幅がかなり広めにとられているため圧迫感を感じることもないでしょう。駅を出て西側の通り沿いには飲食店などの商業施設も並びますが、騒々しさを感じずどちらかというと落ち着いた雰囲気。東側は学習院大学のキャンパスが広がっており、緑も多いせいか都心部とは思えない閑静な街並みとなっております。

教育機関が多い文教地区でもありますが、学生のまちらしいといえるお店はカフェや古書店くらいでしょうか。ですが、パチンコ店などをはじめとした周囲に悪影響を与えるような場所も一切ないため、治安は非常に良好。防犯の目もしっかりと行き届いた、子供や女性に優しい地域なのです。

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《買い物環境》

駅ビルが存在しない“目白駅”の周辺で買い物しようとするなら、駅前の目白通りを渡ったところにある“TRAD目白”でしょう。規模はやや小さめで派手さや華やかさはありませんが、落ち着いた「目白」らしい上品な外観が魅力の商業施設です。イタリアンレストランや中華料理店などから、コーヒー専門店やベーカリー、有名ショコラティエのパティスリーなども入っており、買い物や食事などを楽しむことが出来ます。ここの地下には高級志向スーパーの“クイーンズ伊勢丹”もありますので、帰り際に生鮮食品を購入して帰るという事も可能です。

スーパーはこの“クイーンズ伊勢丹”の他にも、“ピーコックストア”があり、どちらも深夜近くまで営業しているので帰りが遅くなった際も安心。また、池袋までわずか1駅、歩いても約10分ほどですから、そちらまで買い物に向かう方も多いようです。

《施設》

「目白」がある豊島区は23区の中でも緑が少ないと言われていますが、駅からおよそ5分程度のところの“豊島区立目白庭園”はそんなイメージも吹っ飛んでしまうほどの緑であふれています。池の周囲に園路が敷かれた池泉回遊式の庭園で、池の周囲に配植された四季折々の木々を眺めながらぐるっと散歩することが可能です。
池の南側の石垣の上には、文芸雑誌“赤い鳥”にちなんで建てられた木造瓦葺きの平屋“赤鳥庵”が、それを眺められるように水際には小休憩場の“六角浮き見堂”、野外で茶会を楽しむ野点を催す場所としても利用できる“滝見台”などがあり、日本ならではの美しい庭園となっております。

春にはカルガモの親子が、秋には見事な紅葉がそれぞれ見られ、都心にいることを忘れてしまいそうなほど。入園も無料ですから散歩コースとして訪れる住民の方も多く、ぜひ近場まで訪れたら立ち寄りたいスポットです。

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交通の便や買い物などはお隣の池袋や高田馬場にかないませんが、静かさと治安の良さで選ぶなら「目白」でしょう。落ち着いた環境で安心した子育てをしたい、また、のんびりと老後を過ごしたいのであれば、ぜひお勧めしたいエリアです。